2012年1月27日
どんな境遇でも前向きに、笑顔で日々を送る

9月初旬より北総にSさんと言う新しい仲間が加わった。Sさんは福島県いわき市出身。県内の知的障害者入所施設を利用していたが、3・11の大震災で被災。施設は福島第一原発にも近く避難勧告があり、4月1日より千葉県鴨川市の鴨川青年の家で、200名以上の方々と避難生活を送っていた。
千葉県知的障害者福祉協会では鴨川で避難生活を送る方々を千葉県内の入所施設に短期入所で受け入れる支援を実施。北総でも少しでも力になれたらと、Sさんの短期入所が始まったのだ。慣れ親しんだ暮らしから一転しての避難生活。それだけでも大変なのに、新たに始まる北総での生活に戸惑いは大きいはず。私達に出来る事は?受け入れに当たっては園長始め全職員で、Sさんの置かれている境遇や心境に十分配慮した支援をしていこうと確認。利用者にも理解を求めた。
短期入所開始当日。鴨川まで迎えに行った職員に「こんにちは!」と元気に挨拶してくれたSさん。その笑顔にまずは一安心。Sさんは上下肢に障害があり歩行は一人では難しく介助が必要。食事は刻み食。年齢も50歳と無理はできず、生活の中では介助する事が多い方。でもSさんはいつも笑顔!北総の食事も「うまい!」と残さずきれいに食べてくれる。そして作業。手芸介護班に所属となるが、初めて取り組むしつけ取りの仕事を本当に生き生きとやってくれる。
穏やかで明るい彼女の人柄は周囲を和やかにしてくれ、北総の利用者も「Sさん笑ってるよ」と嬉しそう。そんなSさんの姿を見ていると、本当はSさんを励まさなければならない私達が、彼女からうんと元気をもらい、励まされていると感じる。どんな境遇でも前向きに、笑顔で日々を送るSさんから学ぶことは多い。私達も頑張らなきゃ、そしてもっと被災地の方々のお力にならなくては!と心から思う。
(絵鳩)
2012年1月27日
共汗の作業場,記念樹の桜,涙坂の壁画-38年の日々 いざ,さらば-

3・11東日本大震災から既に半年以上の歳月。国を上げてその復興の道筋を模索するが、福島原発事故がそれに絡んで、なかなかその見通しを言葉に出来ない。しかし、時間だけは確実に明日を刻んで待ってはくれない。蕫人間の不幸は壁一つ?の諺のように被災地の皆さんは毎日が現実であり、毎日が立ち直っていくための闘い。千葉の私たちは被災地の皆さんと蕫何が出来るか?の心は継続しつつ、自分の抱えている難題に立ち向かう。
当園本館は小高い峠上に立地。眼下は水郷穀倉地帯の一面の緑。鹿島臨海工業地帯の高い煙突。その先の鹿島灘の水平線。大利根が一直線に絶景を横切る。
この土地にお世話になって38年。8畳の4人部屋、食堂と風呂と便所があるだけの簡素な本館。「十年経てば人も山も変わる」の十年一昔の四昔。「親亡き後のこの人たちの幸せ」「この地をこの人たちの生きる一つの理想郷に」。そんな夢を語りながらヨロヨロと頼りない足取りで何とか四昔を生き延びた。本館の横に木工作業場完成。(S49年6月)。手芸作業場完成は昭和53年。陶芸作業場は昭和49年築。その後何回も改修。天井の梁と囲炉裏が目を惹く居酒屋蕫礼舎?は施設らしくない建物と評判に。
山梨身延山久遠寺天然記念物の枝垂れ桜の孫桜が記念樹として植えられた。木工桜、荘内柿、椎木の木。本館周りは記念樹だらけ。それらの木々も四昔を生き延びて一抱えするような大木となり、この人たちの蕫喜び悲しみ汗と涙?を見守った。園に至る坂道をちちははは涙坂と呼ぶ。その涙坂の擁壁に壁画。この人たちとちちははと職員の交歓図。四昔、この坂道を往き来したこの人たち、職員、ちちはは、関係者…。何人かのこの人たちはその坂道を下って二度と戻ってくることはなかった。
23年11月、四昔の思い出の詰まったそれら建屋、記念樹、壁画…。そしてそれらはもう二度と見ることはできない…。
(武井)